蒲生 秀行
(がもう ひでゆき)
秀行は、蒲生氏郷と織田信長の娘とのあいだに生まれた豊臣時代の武将で、氏郷の死後、文禄4年(1595)に会津91万9300石を継いだが、慶長3年(1598)宇都宮に18万石で移封された。しかし、関ヶ原の役では、徳川家康に忠誠を誓って功績をあげたため、慶長3年(1601)再び会津60万石に復帰する事が出来た。秀行は慶長17年(1612)5月、30歳でこの世を去り、市内門田町薬師堂境内に葬られたといわれている。
しかし、秀行の子忠郷が死んで嗣子がなく、弟の忠知が跡を継いだが、寛永11年(1634)継嗣がなく蒲生家は断絶させられてしまった。市内門田町薬師堂境内にある五輪塔が秀行の墓であるが華々しい戦国武将としての面影はない。
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