仏都会津とは

 会津盆地には盆地をとりまくように古い寺々が点在し、奈良・京都・鎌倉・平泉などとともに、わが国の五大仏都のひとつに数えられるほど仏教にまつわる話題が豊富で、仏都会津といわれている。
 仏都会津の名を生んだのは、最澄や空海の強大な論敵として日本仏教の一時期を担った徳一である。徳一は都の仏教に反対し、未開野蛮と言われたみちのく会津に恵日寺(古代会津仏教の総本山)を開いた。その頃磐梯山は病悩山とも呼ばれて魔物が住み、作物も実らず悪い病気がはやる始末に負えない土地だった。徳一はその土地に恵日寺を開き、仏法をもって魔性の者や悪疫と戦った。最初は粗末な草堂であったが、全盛時には寺領18万石、子院3,800、寺僧300、僧兵数千を擁し会津に君臨した。伊達政宗が会津攻めで焼き払ったため、今は見る影もないが、恵日寺の他に、勝常寺、柳津円蔵寺、西会津妙法寺など、今に徳一の足跡を伝えている。
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